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シャープさんさんの作品:居場所へ恩返しするという感覚

思えば多感な時期が私にもありました、@SHARP_JPです。だれしも、とまでは言えなくとも、若かりし頃に以降の人生にまで影響するものに出会う人は多いはず。それは書物かもしれないし、映画や音楽、もしくは1枚の絵や彫刻、あるいは友人なり大人なり、周囲の人間だったりするかもしれない。それらは、まるで出会い頭の事故のように、自身の内側に深い傷を残す。その傷はいい意味でも悪い意味でも、モノの見方や価値観に不可逆的な変化をもたらす。それを人はトラウマ作品と呼ぶこともあるし、好きの原点と語ることもあるだろう。

特に芸術と呼ばれるような、広い意味での個人の表現物は、別の個人を強烈に惹きつけることがある。だれかの表現が「これは私のことだ」と受信されたり、「世界に私と同じ人間がいた」と発見されることこそ、芸術の存在意義の一端だと思う。そして個人の表現から強烈に影響を受けた人は、やがてその人なりの表現を目指しはじめる。

個人の表現に人生を変えられるような影響を受ける人がいる一方、場やコミュニティ、あるいは文化といった、集団とか空間に影響を受ける人もいる。宗教なんかはまさに生き方に影響を与える空間だし、体育会系の部活なんかも人生に影響する集団になりうるだろう。または、学校がしんどい時に図書室にこもった経験がある人は、そこで読んだ本よりも、図書室という場に助けられたという感覚を持つかもしれない。

そして私は、場やコミュニティに影響された人は、個人の表現を目指すより、場への恩返しというかたちで、人生を決定づける人が多い気がしている。そう思うようになったのは、インターネットで活躍する人たちの存在だ。

いまインターネットで活躍する人は、インターネットに救われた経験を持っている。あくまで私の知る範囲だけど。インターネットでおもしろい発信をする人やネットメディアを手がける人、またはインターネットを駆使して仕事を進展させてきた人は、古参のインターネット好きというだけでは言い切れない、ネットへの愛と敬意を感じさせる人が多い。

かつての孤独や鬱屈を慰めてくれた場所として。世界の近さと技術を謳歌させてくれた場所として。個人の自由と未来を感じさせてくれた場所として。ネットの黎明期あるいは自らの思春期に、ベッドルームのモニター越しに受け取ったインターネットの贈り物を次代にバトンするべく、なかば使命感のように旺盛な発信と活動をされている人が確かにいる。そのような人と運良く知り合ってお話しすると「インターネットに恩返しがしたい」と率直に語られる機会に、私は何度も遭遇してきた。その度に私は青臭さより、成熟した静かな熱意を感じて、ますます尊敬の念を深めるのだ。恩返しという感覚は、なかなか得られるものじゃない。


ちはやふる基金、はじめます!のマンガ(末次 由紀 著)


「ちはやふる」の作者である末次由紀さんが、かるたの未来をサポートするために「ちはやふる基金」を立ち上げられたことは、先日大きなニュースにもなったので、ご存知の方も多いでしょう。あの「ちはやふる」です。ここで私が述べるまでもなく、だれもが知る、かるたと人間の成長物語の金字塔。基金では「ちはやふる小倉山杯」という大会の新設や、かるた甲子園へのサポートなど、実直な取り組みをはじめられるそうです。それもまた私が述べることもないけど、なんて誠実な活動なのだろうと思う。

その基金を作るに至ったこちらのマンガでは、作者のかるたへの愛と敬意が脈々と述べられています。なかでも「その積み上げた(自分の)能力を、自分以外のために役立てないといけない」という言葉。そこにインターネットへ恩返ししたいと願う人と同じ思いを感じてしまって、どうにも私はグッときてしまった。ちはやふるという、大きな物語を紡いできた末次さんがたどりついた決意に頭が下がります。

それにしても「あんたは何もせんのか、大人やのに」という語りかけは強烈だ。かつてなにかに影響を受けたすべての大人を照射する。いまもどこかで精力的に活動している人は、きっと昔の自分が「あんたは何もせんのか、大人やのに」と突き動かしているのだろう。私の中にもそんな自分が、かすかに存在する。

というわけで私も寄付しました、ちはやふる基金。上記のマンガとあわせて、こちらのサイトもどうぞ。

https://chihayafund.com/

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