商売の繁盛が願われる夜に

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シャープさんさんの作品:商売の繁盛が願われる夜に


商売繁盛で笹持って来い、@SHARP_JP です。十日戎といえば、私のように関西で生まれ育った人間にはおなじみの、正月と成人式の間に位置する1月の行事。その年の商売繁盛を、七福神のえびす様を祭る神社で祈願します。たぶん関東では、酉の市がそれに当たるのだろう。一年間の商売がうまくいくように、旧年中にお祈りする関東と、新年になって祈る関西では、商売に対するスタンスや意気込みがちがうのかもしれない。前者がコンサル的戦略に基づいた商売なら、後者は締め日ギリギリまであがくストロング営業スタイルか。それは言い過ぎか。

とにかく私の実家は商売をしていたので、ご多分に漏れず1月10日には、父親がいそいそと祇園の恵比寿神社へ笹を手に出かけていた記憶がある。十日戎は夜の行事だったので、子どもは連れて行ってもらえなかった。いま考えれば場所も祇園だけに、新年会を兼ねた、仲間との酒席のきっかけでもあったのだろう。どうりで父親も楽しそうに出かけていたはずだ。幼心にはその夜を境にして、家に飾られていた煤けてカサカサな笹が、青々とした笹に変身するのが、なにか家の中がリセットされたように感じられておもしろかった。

幸いなことに、私は何不自由なく育てられたので、父親の商売繁盛の祈願はそれなりに叶えられ続けていたのだろう。京都のえべっさん、さまさまである。

一方私は、父親のような商売をすることもなく、結局は平凡なサラリーマンになった。だから十日戎に笹を持って商売繁盛を祈願し、また笹を買って帰る習慣はない。サラリーマンだって、自分の所属する会社が繁盛するためにひいこら働くわけだから、律儀に祈願したっていいだろうに、いまいち詣でる気にならないところが、絶妙にサラリーマンという生態を表しているように思う。

だいたい当事者意識のない祈願なんて、神様も聞き入れてくれるわけがない。そう考えれば父親の笹は、私とは比べものにならないほど切実で、モチベーションに満ちた決意のしるしだったにちがいない。サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだなんて、遠い昔の牧歌的フレーズだけど、それでもやっぱり、笹を持って神社から帰る人たちにはかなわないのだろう。


十日戎(ロビンやすお 著)


そんなことを鮮やかに思い出したのは、このマンガを読んだから。まさに京都の十日戎、えべっさんの日を描いたお話です。少年が恵比寿様の釣り針に導かれるまま、京都の市街地で幸福を集める。そこで描かれる背景にぜんぶ見覚えがある私には、相当な親近感を感じてしまうわけだけど、このマンガはそんな個人的な懐かしさだけが魅力ではない。

少年の幸福集めは、捨てる神あれば拾う神ありともいうべき、文字通りのラッキーに出会うことから転がり出す。それがだんだん、他人に役立つことのリターンとしての幸福へシフトしていく。迷子やなくし物を解決してあげた感謝のしるし。それはやがて、困りごとを抱えた人への思いやりや施しが幸福に繋がっていくのだ。ここで描かれる幸福は、恵比寿様だけに「お金」に置き換えられ、つまりは「金は天下の回り物」だと説かれる。すぐれた寓話で、読んだ人はきっと爽やかな気持ちになるにちがいない。

私は幸か不幸か、商売繁盛を切実に望む生き方を選ばなかったけど、商売繁盛は私利私欲から欲望されるだけの、単純なものではないことは知っている。商売は人間の関係から成り立ち、繁盛はだれかの役に立つことでもたらされるものなのだろう。だから十日戎で持ち帰る笹も、どこか人や社会との繋がりを象徴したものに思えてくる。笹の飾られる家に育った私は、そういうことを言外に学んできたのかもしれない。

作者
 
211   #コラム 1/16更新
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