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末次 由紀(すえつぐゆき)さんの作品:「反応」の話

コミチで文章を書かせて頂くことになりました。末次由紀です。はじめまして。

思いの整理としての散文になると思うのですが、お時間ある時に読んでもらえたらうれしいです。


そう、うれしいです。


読んでもらえるとうれしいんです。なんならそれに「いいね」がついたり、コメントがもらえたりすると、うれしいんです。


その「うれしい」は、社会性のある生物にかけられた大いなる呪いだと思っています。


「人は『反応』をもらうためならなんでもする」


これはおそらく内田樹さんの本で読んだ言葉で、わたしは読んだ瞬間自分にもかけられているその呪いを自覚しました。


話しかけたら返事をして欲しい。

文章を書いたら「読んだよ」と言って欲しい。

ドジをしたら笑って欲しい。

その気持ちが行き過ぎると、人は


コンビニの冷蔵庫に入って笑う自分の写真を友達に送ってしまう・・・

その友達は「ウケる」と思ってまた違う友達に送ってしまう・・・・

その友達は「誰これ知らんけど笑う」と思ってTwitterにあげてしまう・・・


これ全部だれかの「反応」が快感だからです。

なんでそんなことを?と思う行動の底には「反応が欲しい」という呪いがあります。「いい反応」だけではなく、「悪い反応」であっても人はとにかくもらいたい生き物なので、ギョッとするようなことも人は言ったりやったりします。

怖いことです。そこまでくると「反応」の亡者です。


反応が欲しいというのはとても真っ当な欲望で、人は誰かの「反応」を得て自分の実存を認識します。言葉や考えのキャッチボールができるかどうかに関わる、社会性を持つためにとても大事な感覚です。


だからこそ「反応」は麻薬で、足ることを知らないと、もっともっとと欲しくなります。

「反応」の亡者は、より短絡的に反応を得られるインパクト炎上案件に魂を売ってしまいます。


自分や周囲の大事な人を「反応」の亡者にしないために、私が気をつけていることは「ちゃんと受けとめたよ」というレスポンスを返すこと。


漫画の中でも気をつけてます。キャラクターのアクションのあとちゃんと他の誰かのレスポンスがあるようにと。そこに読者の小さな安心が生まれることがわかるので、丁寧に「反応してる顔」を入れます。

ボケとツッコミもそうですが、適切な反応は人の生きるリズムを整えます。


「人は『反応』をもらうためならなんでもする」

大事なことだから二回いいます。あ、書きます。


「人は『反応』をもらうためならなんでもする」

三回目だ。


「反応」が欲しい、は人間の性(サガ)です。

だからこそ「反応」に振り回されないで、さみしいとき・不安なときも

「ああ、自分は反応が欲しいだけなんだなー」

「じゃあ不特定多数じゃなくて、早くポジティブな反応返してくれそうな友達に話しかけちゃおう」

なんて思って、その気持ちをコントロールしようとすることに大きな意義があるし、周囲の人の快適さを守ることにもこの理解は大いに役に立ちます。


知っていますか。

呪いっていうのは、あるんですけど、自覚するともう呪いじゃなくなるんです。


ここまで読んでくださった皆さんが「反応」からちょっとだけ自由になれますように。


コミチさんへの初めての寄稿なので、どなたがどのくらい読んでくださるのか全くわかりませんが、反応ゼロでも折れない心で、時々文章を書きにきます。


よろしくお願いします。

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