君の師は走っているかい?すっかり年の瀬、@SHARP_JP です。間もなく年末年始の休みに入ろうとする中、関係あるのかないのかわからないことを言いますが、私は一度もディズニーランドへ行ったことがありません。生涯一度もない。シーもない。
なにか頑な信念や親の言いつけがあって行かないというわけでもなく、だからといって、明確に述べることができる理由も見当たらない。ただのなりゆき。これまでの人生において、行くきっかけがなかっただけだ。
なぜディズニーランドへ行くきっかけがなかったのかについては、その理由をいくつか挙げることはできるけど、悲しくなりそうなので挙げない。とにかく私の人生には、東京ディズニーランドおよびディズニーシーへ行くきっかけも、お誘いも、1度たりとてなかったのだ。
ところでディズニーランドとディズニーシーの累計来場者数は7億5千万人を超えるそうだ。生まれたての赤ちゃんから老人まで、日本の人口にカウントされる人全員が6回はリピートしている計算だから、一度も行ったことがない人間なんて、そうとうレアなのだろう。存在自体を疑われる、妖精みたいなものかもしれない。
ただその「一度も行ったことがない」という事実には、さほど後ろめたい気持ちはない。平々凡々たる私が、なにかひとつでも「圧倒的に少数派」という属性を持ちあわせていること自体、むしろ誇らしい気分すら湧いてくる。こういうのも中二病的メンタルというのだろうか。
思い返せば私は、ずっとレアキャラというポジションに憧れを抱いていた。目の前に降臨することを祈られるガチャのSSRのように、貴重で強く、待望される存在。しかし言うまでもないことだが、だれもがSSRな存在になんかなれるはずもない。それどころか、たったひとりのだれかに熱望されることすら、現実は難しかったりする。レアキャラになれるのはレアな人物だけなのだ。
だからたとえ私のSSRの根拠が「ディズニーランドに行ったことがない」というささやかで弱々しい属性だったとしても、私の中では「人と違って逆にレア」という甘いファンファーレが鳴りわたるのである。
というのはウソ。ただの強がり。私だっていつか、ディズニーランドに行きたい。
いつか雀荘に行くのが夢(LOGLINE著)
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そういえば私は、雀荘にも行ったことがない。このマンガを読んで気づきました。雀荘どころか、麻雀のルールすらおぼつかないけど、たしかに雀荘にはヒリヒリした空気が流れるイメージがあって、ある種のかっこよさとか憧れを掻き立てることは、私にだってわかる。
大学生のころ、雀荘の上に住んでいた友だちがいた。音楽もいっしょにやっていたので、彼の部屋で録音したり、彼の部屋からライブに出かけたり、当時の私にとっての雀荘は、重い機材を抱えて通り過ぎる場所だった。あのころの音楽はもうフェードアウトしてしまったけど、もし階下の雀荘にいっしょに行くような奥行きがあれば、いまもまだ音は鳴っていたかもしれない。
人間は大人になるから、行けない場所なんてないはずなのに、ある時期に踏み入れないと、一生縁がない場所というのが確かにある。私にとっての雀荘がそうなのだろう。そしてディズニーランドもそうなのかもしれない。
それは場所だけではない。人だってそうだ。あるタイミングで自分が踏み出さないと出会えないことはたくさんある。踏み出さなかった理由は、たいてい勇気の問題だ。そして私たちはかつての勇気のなさを、いつまでもいつまでも知覚してしまうから、後悔を泥のように堆積させていく。大人になってお金が入っても、世界が広がっても、大人が億劫なのは溜め込んだ後悔のせいだろうと、重い腰をさすりながら私は時おり思うのです。
私のディズニーランドはまだ間に合うのだろうか。
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