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ためさんの作品:涙を堪えるようになると何を感じているか分からなくなった

小学校の頃、とっても泣き虫だった。教科書を家に忘れてしまったことに気づいて、泣いてしまったことがある。気の強い女の子が、「そんなことで泣くんじゃねえよ」と言って咎めてきた。

ずっと何かしらいじめられてきた。

他人と違うことから、女の子に意地悪を言われたり、連絡帳に酷い落書きをされて、泣いていた。菓子折りを持って謝りに来た女の子のお母さんに「それ貰わないで!!」と言った。

そんなこと忘れるくらい最近になって、その子とFacebookでやり取りをしていたら、まだその子のお母さんは気にしているようだった。

確かに幼ければ幼いほど、忘れて次に進んでいきやすい。泣いたらけろっとしてしまう。

でも、段々といじめられたこと、ふとした言葉を忘れられなくなり、他人の純粋な悪意、やっかみ、妬みが嫌いになった。どいつもこいつも腹の底では信用ならない野郎だ。

だから、今でも安心して付き合いが出来るのは、そんな毒がない人達だ。

能力が無いと、村社会のヒエラルキーの中では下になってしまうから、頑張って能力を高めないといけない、と言うプレッシャーが常にあった。

中学受験、私立高校での学力テスト、何でも点数が良ければ、先生は何の文句も言わず優等生だと言ってくれるので、その通りだと思っていた。

勉強は好きだったし、勉強を頑張ってちゃんと点数が出ている自分も好きだった。努力をすればきちんと結果が出るものだと無邪気に思っていた。ふふふ。

だからそれ以外のことについては目を瞑っていても良かったんだ。学校ってそう言うシステムだろ。

そして生きる為に何が必要なのかについては、ほとんど何も知らないまま大学を経て就職活動に至る。

その頃は、真面目に部活を頑張り過ぎて、留年しそうになったり、見かねた親が毎日のようにキレまくっていて、自分のことを自分でコントロール出来ないで混乱している時期が続いた。

小遣いはいくらでも出してくれたから、あるだけ全部使ってしまうような生活を繰り返していたし、勉強以外のことの自己管理能力の無さに親が今更のように気づいて、狂ったように干渉した。

自分で自分を何とかしたかったが、半ば他人事のように、嵐が過ぎ去ってくれるのを待っていた。

そして、社会人というものになって、自分のことを大して必要としないどころか、邪魔な存在だと見なされるようになったんだなと気づく。

真面目に、必死に取り組んでいるつもりでも、結果が伴わない。いざという時に、パニック障害のように思考停止してしまって、「こいつには何も任せてはいけない」というレッテルを貼られてしまう。

新卒でみんなが大手企業に行くから同じように就活をしていたら、まずそもそも就活にすごい苦労した。苦労して入った会社は、どんなにネームバリューがあっても本当にゴミみたいに最低な会社だった。

働くってこんなに誰の為になっているか分からないことを延々と積んでは壊すを繰り返しているのかと思うと絶望した。

そして、人の為に貢献しているように見える医療でも、いつか来た道と同じ道を辿った。やっぱり使いもんにならない自分がいた。真面目でも仕事が全然出来なかった。

どうせそうなることは分かっていた。

本当はやりたくないことを、親が喜ぶからやっているだけで、本当は自分には全然興味がないことも分かっていた。

だから、希望と情熱と知恵を持って世の中にチャレンジしていく同世代や自分より年の若い人達を見て、とても憧れた。

あんな風にサービスを立ち上げたり、アナーキーなマインドから生まれ、世の中に半永久的に残る新しい仕組みに惹かれて、俺もこんなものを表現したいと漠然と思い始めた。

そうそう、生きるってこういうことだよ。

爪痕を残す為に生きているはずだよ。

そんな思いを、内に秘めながら、どうしたらやりたくないことがやりたいことに変えていけるかを、ゲリラ戦のように考えた。

手元にジャック以下しか無い手札でトランプの大貧民をやっているような感覚。

そしてまた、お前は無能だということを色んな語彙を使って伝えてくる人達から距離を取りつつ、様々なベンチャーやハッカソンやらに出入りして、色んな大人を知り、色んな場所を知っていった。

ようやく、自分がベンチャー企業に入ることが出来て、1年半ほど仕事をしてみて分かったのは、自分で身の回りのことを表現したいという気持ちがあっただけだった。

あと、苦しまないだけのお金が欲しかった。

そして、誰にも邪魔されたくなかった。

それ以外は多分ほぼどうでも良かったんだということに気づいた。

いつの間にか涙は流れなくなって、ふとしたターニングポイントで流れた涙も出なくなった。そして、腹の底では他人を信用しない気持ちと、どんなに頑張ろうが能力だけが全てだという気持ちだけがずっと心の底で居座っている。

誰ともうまく話が出来なくて、心が開けなくて、頼れなくて

必要とされてないんじゃないかと錯覚した日には、

馴染みの中華屋さんに行く。

嫌いなタバコを吸っている人達が沢山いても、夜遅くまで辛さを受け止めてくれるあの場所が好きだ。

「きっと大丈夫だ」という優しさを誰かに差し出しても、自分にはなかなか帰ってこない。

助けることのできる能力のある人はいない。

他人を信用してはならない。親が一番信用ならない。

小学校の頃から続いている思いが、ずっと涙を流すことを邪魔している。

でも俺はフォレスト・ガンプのように自分ではどうにもならない人生をよく頑張って生きてきたよ。

やっと、自分で自分の人生を生きられるようになってきたよ。

だから、いつ泣いたって、いつ誰かに弱音を吐いたって。

いつ誰かを信頼して、愛して、友情を築いたっていいんだよ。

沢山嬉しがったっていいんだよ。優しくしてあげていいんだよ。

自分がかつてはバカにしていた人に優しくすることもできるし、自分で自分の可能性をいつまでも追求して行ったっていいんだよ。

何も出来なくてもそこにいるだけでいいんだよ。本当にそう思っていいんだよ。

時間がかかっても。

そこに辿り着いて初めて、流れていなかった涙が流れるのかも知れない。


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2019/11/22 #コラム
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