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シャープさんさんの作品:幸福な昔語り。モノの思い出。

先進のテクノロジーを扱う企業が老舗を誇ることに若干の疑問は残りますが、こちとら創業107年の会社で働いているわけで、長くモノを作り続けているとそれはそれは膨大な種類の製品があります。もちろん私は何十年もの社歴があるわけでもないし、それらの古い製品や歴史は先輩から教えられたり、社史や社内資料をめくりながら知るわけです。


一方私は私で、ツイッター上であれやこれやをツイートする公式アカウントの仕事に就いて7年ほどになる。その間にもさまざまな新製品が生まれ、発売されるたびにツイートしてきた。私のツイートの効力はさておき、世間から注目と評判をいただき売れたモノもあれば、そうでないモノもある。悲しいことに、そうでないモノの方が多いかもしれない。


いずれにしろ私は、曲がりなりにも公式アカウントですから、その時々でもっとも新しい自社製品をツイートしてきたわけです。売上のために、宣伝のために、いまお店で買ってほしいものを案内する。当たり前のことだけど。だが私は、時にまったく逆の行為がツイッターで大きな力を持つことを学ぶことになる。まったく逆の行為とは「古い製品を今語る」ということだ。


きっかけは確か、カセットテープを知らない世代がいて驚いたといったような、世代間ギャップあるあるが話題になっていたことだった時だ。話題に乗じて、カセットテープが再生できる古いラジカセの写真をツイートしたところ、たいへんな反響があった。それまでの私は、公式アカウントとは「自社の今」を発信するものだと思い込んでいた。宣伝やPRとは、そういうものだと。


しかし私は過去を発信することが、決して無意味ではないことを知る。ラジカセのツイートは「知らない・はじめて見た」という驚きを引き出したのではなく、「私も使っていた・昔欲しかった」といったお客さんの思い出を引き出したのである。ツイートをきっかけに、シャープにまつわる人々の記憶が語られだしたのだ。


ビクシオマが教えてくれたこと(げんち 著)


記憶が語られるというのは、この作品で行われていることとほぼ同じだ。作者にとって、あるゲームがいかにその後の人生に影響を与えたのか、そのきっかけが生き生きと語られている。マンガのお話は作者個人の私的な思い出であると同時に、そのゲームを生み出したセガという企業との思い出でもある。それはすなわち、ブランドイメージと呼ばれるものだ。


このマンガを読んで思い出したことがある。シャープのX68000やMZシリーズという、1980年代の黎明期のパソコンのことだ。この製品のことをツイートするたびに、かつてパソコン少年と呼ばれていた人たちの膨大な思い出がツイッター上に立ち上がる。はじめてパソコンという概念に触れた喜び、プログラミングという未開の領域に踏み込むワクワクした気持ち、どうしても欲しくて手に入れた時のうれしさ。さまざまなパーソナルな思い出が語られ、そしてその多くが、自分の人生にいかに影響を与えたか、後の自分の職業を決定づけたか、いかにかけがえのないモノだったか、熱を持った言葉で綴られる。


おそらくそれは、メーカーにとって最高峰の褒め言葉だろう。だれかの人生を決定づけるような体験を提供することは、企業に限らず、なにかを創る人にとって、これ以上ない理想郷にちがいない。そしてもし、企業がお客さんからかけがえのない思い出をもらいながら歩んで来れたのなら、老舗であることはなによりも誇らしいことだと、私は思う。

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