祈りながらヘラヘラする、かろうじて広告の仕事。

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シャープさんさんの作品:祈りながらヘラヘラする、かろうじて広告の仕事。

たとえば高齢の親戚なんかに「仕事はなにをしているのか」と訊かれたら「かろうじて広告の仕事」と答える、@SHARP_JP です。私が主に手がける、公式アカウントのツイッターは「いつか売れるといいな」と願いながらあれこれ言う仕事ですから、広い意味で広告や宣伝の範疇に入ることは間違いない。


ただ私に、目の前の人を説得してまで自社製品を売りつけたり、あるいは通りがかりの人を大声で呼び止めて、パンフレットの中身をこんこんと説明する意思はほとんどない。身の丈以上にカッコよく思われたいというような気概も持ち合わせていないから、これを広告の仕事と称するにはあまりに弱々しい気もする。


買う気がない人や買う必要に迫られていない人に買わせるほど、私に営業スキルがあるとも思えないし、購入にいたるまで手練手管を繰り出すための広告予算が私にあるわけでもない。だから買わせて売り上げるという、本来的な目的を放棄した私のような存在を、企業が広告コミュニケーションの主体としてカウントしていいのか、いまひとつ自分でも自信が持てないでいる。


金もなければ気迫もない、それが私だ。そのうち売れますようにと祈りながらも、ただ祈るだけで毎日ツイッターをヘラヘラ徘徊する行為を、はたして仕事と呼べるのか。そのような議題が会社のどこかで会議され、そんなことはまかりならんと、ある日急にクビになるというのもありえない話ではないと思う。


ところで、一般に広告が成功するには「自分ゴト化」させることが秘訣だと言われます。CMにしろweb記事にしろ、その内容やキャッチコピーが私のためのものだと解釈されれば、スルーされたりウザがられがちな広告でも共感をもって受け入れられ、イメージアップや購買に結びつく。だからそれを目指せ、という考え方です。


とはいえ多くの人に一気に届けるのが本来の広告の役割だったはずだし、さらには日々膨大に浴びる広告の中で、受け手にわざわざ「これは私のものだ」と発見させるのもなんか偉そうだなとも感じるわけで、広告の自分ゴト化なんて実際は無理ゲーではと思ったりもする。ただし広告に限らなければ、「これは私に向けて発信された」という形で受信されるメッセージが、受け手にとっていかに力を持つか、そこに異論はない。みなさんも自分がラブレターをもらった時を想像すればよくわかると思う。私に向けて発せられたと思えるメッセージは強い。だから私も、自分ゴト化されるツイートを密かに目標としている。



娘の贈り物(エピソード3)(じゅん@外資系マンガ家 著)



この作品を読むと「自分ゴト化」がいかに説得や購買にパワーがあるか、おわかりになると思う。個人的には前半の「SNSナントカだの」「炎上とか個人情報が」と詰められる様子が、あまりに会社での自分と重なって胃がギリリとしてしまうのですが、そこは置いておきましょう。


話は後半でガラリと変わる。「信用ならん」とさえ忌み嫌っていたスマホから、とつぜん孫の声が聞こえてくる。スマホから自分あてのメッセージが発信された瞬間、それは自分に関わりを持つ、無視できない存在に変貌する。スマホに相好をくずす老人の顔は、スマホを板っきれと呼んでいた人と同じとは思えない。娘の説得はあっけなく成功した。


自分ゴト化とはかくも偉大な力を持つ。それが広告なら購買に。プレゼンなら説得に。個人の言葉なら信用に蓄積されるだろう。少なくとも私は、お客さんに売ったり説いたりするもっと前の地点で、これは私あてだと思ってもらえるメッセージをていねいに紡ぎたいのだ。「いつもあなたの傍で」と言うと陳腐になるけど、私はスマホの向こうのあなた宛てに小さな発信を続けることで、企業とあなたの間にやわらかな信用を築きたいと願っている。


だから私は毎日ツイッターをヘラヘラ徘徊しているのだけど、わかってもらえることはおどろくほど少ない。

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