「詩」というと今ではひとつの趣味くらいに思われますが、平安時代の漢詩は意味合いが違いました。
当時の公文書は漢文ですから、学問のスタートラインに漢文の読み書きは必須。特にエリートは漢詩に通じていることが重要でした。
現代と違い身分制が常識、家柄が問われたこの時代、 誰にでも出世のチャンスがあるわけではありませんでした。
しかし唯一「漢詩ができる」ことが一発逆転、身分を超えた出世のカギでした。
たとえば、道真さんの曽お爺さん・菅原古人が葬祭担当から身分をこえて中級官僚へとのし上がれたのは、学問を磨いて桓武天皇の先生にまでなれたからでした。
学者一家の流れはお爺さん清公からパパ是善に受け継がれ、是善は最後の最後で、家柄を超えて参議(今でいう高級官僚または大臣クラス?)にまで昇り詰めます。
家柄を超えた役職についたことで世間の嫉妬も相当強かったようですが、道真さんの出世の早さは祖父・父の影響力も大きかったと考えられます。
また、でんチャンの島田家は、身分的には菅原家よりさらに低かったのですが、学問、特に漢詩のスキルが国内トップクラスだったことで、身分を超え、海外との外交を任されるまでになりました。 そして最後の最後には、中級役人から、いわゆる「貴族」の階級に片足をかけるところまで昇り詰めたのです。
ついひと昔前の日本でも、英語ができる人を「英語使い」などと言って重宝された時代がありました。
漢文=英語 と考えると、なんだか少し似ていますね。
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2022/6/22
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