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シャープさんさんの作品:宙吊りの言葉

さまざまな呼び方をされる世代です、 @SHARP_JP です。スマホ以前の話をすると、途端に年齢を感じさせてしまうけど、たまには許してほしい。スマホがなかった頃の話をする。正確には、人々がケータイで写真を撮るようになる前の話だ。

 

かつてわれわれは撮った写真をなんらかの紙状のモノに移すことで、写真を保有していた。フィルムで撮った写真なら現像、デジカメで撮った写真ならプリントという行程である。もちろん今でも、本格的な写真を撮る人はカメラのデータをパソコン上である程度手を加えた上で、印画紙に印刷することを現像と呼ぶ。保管あるいは完成させるために、写真を紙に移すのは今でもめずらしいことではない。

 

ただし、共有するための写真の扱いは変わってしまった。今も昔もなにかとみんなで写真を撮りたがるのは同じだけれど、撮った写真をどうやって共有するかは、すっかり様変わりしたと思う。今はいうまでもなく、撮ったらみんなのスマホに送るか、何らかの加工を加えて自分のSNSアカウントに公開する。だが昔は、ご丁寧にも写真ごとに配布する人数をカウントして、その枚数分を増刷して紙にプリントしていたのだ。それをわれわれは、焼き増しと呼んでいた。まことにていねいな暮らしを送っていたと思う。

 

私はそれを懐かしみたいわけではない。その焼き増しをなぜか焼き回しと呼ぶ人が、私の身の回りにいたことを言いたいのだ。「やきまし」ではなく「やきまわし」。ずっと音でだけ聞いてきたから、やきまわしが焼き回しなのかは定かでない。焼き回しと漢字を当てれば、なんとなくたくさん刷られる様子や友人の間で写真が回遊するイメージが湧くので、私は脳内で勝手にそう変換していた。だから私にとって焼き回しは、あなたからしか聞いたことがないけど、あながち間違いでもない気がする、という不思議に浮遊感のある言葉だった。

 

そんなの本人に直接指摘すればいいじゃないか、という話だ。しかし当時の私はその人に好意を抱いていたせいで聞けなかった。聞けぬまま好意も実らず、そしてあっという間に私たちはスマホで写真を撮るようになり、焼き増しが絶滅してしまった。だからずっと焼き回しという言葉は宙吊りのまま、私の頭の中でふわふわしている。やきましとやきまわし。ただそういうだけの話である。

 

 

第836話(まるいがんも 著)

 

 

それにしても、ときどき言葉は不思議だ。すべての言語を教科書から学ぶわけではないから、正解がわからないまま、使いはじめることも多い。スラングや仲間内で通じ合う符牒のような言葉なんて、その際たるものだろう。そういう言葉は、前後の文脈やだれがいつ口にしたかといった景色を通じ、おそるおそる使うというかたちで意味を獲得していく。やきまわしも、あの人がいた環境の中で、正解がわからないまま、ゆっくりと確立された言葉だったのかもしれない。

 

同様に仕事をはじめてから出会う、その業界固有の言葉もやっかいだ。ましてやトレンドとか新しい理論を称するために次々と生まれる造語や略語はタチが悪い。勉強熱心な人ほど本を読んで学ぶから、正解がわからないまま、新しい言葉にもとりあえず脳内でスムーズに読むために音をつけることも多いはずだ。このマンガで、FAQをいささか不穏な発音をしてしまう彼女も、きっとそうやって言葉を学んだのではないか。ここだけの話、私がPythonとかDXとかSaaSとかを脳内で読むときの発音など、かなりあやしいと思う。いまだに正解に自信が持てない宙吊りの言葉だから、これ以上は言えない。

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2022/10/20 コミチ オリジナル
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