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シャープさんさんの作品:世界を見ること

めろうめろう目になろう、明日はぼくが目になろう、 @SHARP_JP です。つい先日、絵本の『スイミー』を読み返した。幼い子どもの時以来だ。ボンクラな子どもだった私でも、さすがにだいたいの流れは覚えているつもりだった。けれどぜんぜんだった。私が覚えていると思っていたのは、黒いスイミーが小魚の群れの中で目になり敵を追い払った、物語の最後だけだったのだ。

 

再読してびっくりしたのは、物語のほとんどをスイミーが喪失から回復する様子に割かれていたことだった。群れで平穏に暮らしていた仲間が、一匹残らずマグロに食い尽くされ、スイミーだけが生き残ってしまう。そこから失意のスイミーが放浪のうちに海の美しい生き物に出会う様子が、何ページにもわたって描かれていたのだ。

 

きれいな魚、長い魚、いかついエビ、色とりどりの海藻、ゼリーみたいなクラゲ。美しいものを「見る」ことによって、スイミーはだんだん元気を取り戻した、と絵本では語られていた。そして元気になった先で、ようやくスイミーは仲間に出会う。私はその回復の過程を、記憶からすっかり消去してしまっていた。

 

どうも私はスイミーを「アイデアと機転を利かせて敵に立ち向かう話」だと思いたかったのだ。その方が痛快で、ヒーローっぽくて、明るい教訓に満ちた話に解釈できるから。しかし大人になった私には、絶望を癒す長い中盤こそが、大切なこととして浮かび上がってくる。

 

世界に絶望した時、そこから立ち上がるには世界をもう一度、見ればいい。絶望した世界にふたたび関わるには、世界はあまりに厳しいかもしれない。しかし世界を見ることなら、私たちにだってまだできる。そして世界が、絶望した私をおいてきぼりのままで美しいことを発見できたなら、そこが私たちの回復の出発点になるにちがいない。世界は残酷で美しいのだ。スイミーがそういう物語であったことを、私は大人になってようやく気づいた。

 

下町呑み日記 花見酒(なかじま 著)

 

このマンガも絶望からの回復を描いている。セリフもない。擬音もない。でも伝わってくる。素晴らしい作品だと思う。

 

おそらく失恋をしたであろう女性が、自宅から日本酒を持ち出し、ひとりで花を見ながら酒を呑む。私が要約を文字で書いてしまうとおそろしく空疎な話だが、それだけではないことはマンガを読んだ人ならわかるだろう。

 

絶望して前髪を切った彼女は、ただ酒を呑みながら世界を見た。失恋話を友人に打ち明けるわけでもなく、ましてや飲み屋で店の主人や常連客にクダを巻くわけでもない。ただひとり黙って、自分を取り巻く世界を眺めた。

 

そこで彼女が見たのは、桜が咲き、猫が歩き、人々が散歩をし、鳥がたたずむ様子だ。ただそれだけ。ただそれだけの、美しい光景だ。酒をゆっくり呑みながら、世界の美しさを「見た」彼女がどう感じたのか、ほんとうのところはわからない。私とは関係なく世界が美しく回る様子に、自分のちっぽけさを感じたのかもしれないし、自分はこの世界に属してよいと思えたのかもしれない。あるいはただ、世界が美しいことを発見しただけなのかもしれない。

 

そこまでは読者のわれわれにはわからない。けれど世界を「見た」彼女が、絶望から回復の兆しを見せたことを、われわれは見る。世界の美しさを見てきた人なら、そこに確かなリアリティを感じるだろう。絶望を「見ること」で回復したスイミーも、だから「目になる」というアイデアにいたったのだ。見ることの力を知るいまの私は、そう思っている。

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2022/10/27 コミチ オリジナル
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