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シャープさんさんの作品:動物を覗く時、動物もまたこちらを覗いている話。動物園の動物は社畜か。

おいおい12月に入りました。じっと手を見る @SHARP_JP です。いったいなんだ、もう12月って。私なんかほぼ毎日、仕事でツイートしているわけですから、1日1日を刻む感覚がふつうの人より強い方だと思うけど、光陰矢の如しどころか、2018年のサイコロ振って3マス進んだらもうゴール、みたいな感覚です。毎日ひいこら生きてきたはずなのに、あまりに冗長な日々だからと1年をばっさり編集されてしまったように、途中の記憶がほぼない。こわい。


ところで私は、インコを飼っているのですが、インコはほんとうに生活が規則正しい。日の出日の入りに同期したその規則正しさは、どんより日々を暮らす私に安心感をもたらしてくれるけど、インコ本人は1年というサイクルをどう思っているのだろう。動物には過去現在未来という時間の概念がないと聞きますが、もしそうだとしても、インコなりの規則正しさで、のっぺりした私の毎日を見つめ、私の代わりに365回のふれあいをカウントしてほしいと思う。できるなら私が死ぬまで毎年。


また居酒屋zoo(丸山ミユ 著)



今回はとても不思議な作品です。いや不思議でもないか。このマンガ(居酒屋zooというシリーズ)では、キリン、チーター、ウサギ、アヒルやライオンなど、つまりわれわれにもおなじみの、動物園に暮らす動物たちが夜な夜な居酒屋に集まり、愚痴やよしなし事を語り合う。一見不思議なシチュエーションですが、話す内容やクダを巻く姿はほぼ、会社であくせく働くわれわれだ。そう思えばなんの不思議もないし、言うならば動物園で実直に働く動物たちこそ、文字どおりの「社畜」に見えて、ねぎらいの気持ちも湧き上がってくる。


そしてこの作品で特筆すべきは、動物園を訪れる人間を、動物たちが「マン」と呼称することです。往々にしてなんらかの仲間内ではスラングが発生し、その符号を使うことが仲間の証明にもなるのですが、動物園の動物たちは人のことを、ニンゲンでもなく、ヒューマンでもなく、マンと呼ぶ。われわれヒト科がその字義のみを追えば、雌雄の片方しか表現できていない不完全な呼称が、いかにも異種から見た群れの名付けを感じさせ、ほんとうに動物たちがこのスラングで会話しているようで、私はわくわくしてしまう。


当たり前ですが、動物園に赴き動物を見る私たちもまた、檻の向こうから動物にじっと見られているわけですよね。向こうから見つめる動物は、われわれ人間の個体差を気にするいわれもなく、ただただ「マン」の生態として、冷静にわれわれを観察する。マンの個体差、つまり私たちが個性と思うあれこれを動物は気にしないし、だからこそ逆に、マンの大きな差異が鮮やかに際立つのでしょう。つまり12月のわれわれの生態は「クリスマスにおどるマン」と「クリスマスに何の価値も見出さないマン」に大きく分かれるのだ。


例えばわれわれは、リア充と非リア充を二項対立で語りがちですが、もし動物のまなざしから判定すると、それは優劣でなく、ただの違いでしかない。もしそんなフラットな違いなら、リアだろうが非リアだろうが、自分の属性をすんなり受け入れられそうな気がしてくるから不思議です。


私も飼っているインコから、そんな異種ならではのまなざしを向けられていると思えば、なぜかよりいっそう、動物と暮らす愛おしさが増すように思えるのです。ちょっと気がはやいですが、みなさんよいクリスマスを。動物はあなたのそばで、いつも淡々と暮らしているよ。

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