21837 654 654 false 5Y0rtzPelLaqwwzIARwwCVfaqqdTr4EK c4965b37622731e78410b3174240dd08 0 0 7
シャープさんさんの作品:かっこいいの温度

願わくばかっこいい大人でありたい、 @SHARP_JPです。かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろうとアルバムのタイトルにしたのは1969年の早川義夫ですが、なにをかっこいいとするかは、案外人によって、真逆の姿を見せることがある。


たとえば有言実行と不言実行。言ってからやるか、言わずにやるか。ホームランを予告してホームランを打つのと、涼しい顔で打席に立ちホームランを打つのと、いったいどちらがかっこいいのか。私自身は後者の方がかっこいいと思うのですが、それが普遍性のあるかっこよさだとは、どうも割り切れない。


思い返せば、試験の直前に「昨晩は勉強した」と宣言する者もいれば、「寝てしまった」と豪語する者もいて、真偽のほどは別にしても、努力を見せるか隠すかは、学生時代のひとつの美意識の表れだったのだろう。


かんたんに言えば、アツいのとクールなのと、どっちがかっこいいかという話に行き着くのだろうけど、自分がどちらの美意識に属すかは、多感な時期に影響されたコンテンツや時代の空気といったものに、思いのほか左右される気がする。つまり思春期のヒーロー像が、後々のアツいかっこよさか、クールなかっこよさかの意識の背景にいるのだ。そして私は、後者のヒーローを信奉するようになった。


もちろん私はもういい年をした大人だし、ナナメに努力を否定するようなことはない。むしろがんばることは人間の尊さのひとつだと思っている。しかし、その努力の目標をあらかじめ宣言して実行に移すのか、人知れずコツコツ努力して見晴らしのいい場所に立つのか、日頃からどちらのアプローチを取るかは、容易に宗旨替えできるものではない。


少なくとも仕事においては、まず目標を宣言して、それから努力するプロセスが評価される制度が根強いわけで、売上目標やKPIといった仕組みはその典型だろう。不言実行タイプにとっては、その制度は真逆の有言実行を強いることでもあり、私はいつもちょっと息苦しかったりする。同時に、躊躇なく目的地を約束し、まっすぐにそこへ邁進するアツい人をちょっとうらやましく思っていたりもする。


ドヤる女の子 ぽんすけ成長日記(ひとり 著)

だから私は、このマンガのぽんすけちゃんに共感する。がんばって壁を登りきった喜びを問われ、あわてて「ふつうかな」と涼しい顔をする彼女は、クールこそが至上命題だった中学生の私に重なる。


とはいえクールには強がりが付きものだ。吹き出す汗も涼しい顔でやりすごさなければいけないし、努力や練習もできるだけコソコソやらなければいけない。かっこよさのために、かっこつけなきゃいけないのだ。つまりクールなかっこよさを選ぶということは、自らにやせ我慢を課す人生を選択するわけで、それはそれでなかなかしんどい。たまには、がんばりに声援を求めたり、うまくできればハイタッチだってしたい。私だって、喜びを素直に爆発させたい時もある。


だからはたして、やせ我慢を続ける私は、かっこいいのだろうか。ドヤ顔をダダ漏れさせながらも「べつに」と強がるぽんすけちゃんが大きくなったら、尋ねてみたい気がしている。

面白かったら応援!

作品が気に入ったら
もっと作品を描いてもらえるよう作者を応援しよう!